10月 312007
 

いつごろから、本格的にウリムゾンを聞くようになったのかはもはや定かではない。

初めて聞いたのはエピタフだったような記憶がある。オールナイトニッポンで深夜かかってたのを聞いてすばらしいと思った。
アルバム自体はいつから購入しだしたのかわからない。「クリムゾンキングの宮殿」が1969年、12歳のときの発売だが、当初は知らなかった。「RED」が1974年、17歳かぁ。予備校時代特(19歳~20歳)には結構JAZZなども聞いていた。そもそも自分の中では、クリムゾンの「キャットフード」がきっかけでJAZZを聞き始めたと思っているので、ポセイドンあたりまでは高校時代にアルバムとしては聞いたことがあったんだと思う。なにせ、高校生ぐらいではあまりお小遣いもなく、よっぽど好きじゃなければアルバムまで買うようなことはしないが、宮殿は持っていたのかなぁ。
高校の同級生にYES 好きがいてクリムゾンのほうがいいよとかなんとか会話したことはあるので高校から聞き始めたんだろう。

とにかく、現在までファンでいつづけられる数少ないグループではある。

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10月 172007
 

初めて買ったPCである。1985年7月が発売日となっているので、28歳のときだ。定価415,000となっているがこんなに払ったのかなぁ?当時はダイレクト販売というのはあまり耳にもなじまなく、きっとアキバまで行って買ったんだろうけど記憶にはない。
スペックは CPUクロック:V308M.10MHz切り替え(何のことかよくわからん)、ROM:N88-BASIC(86)及びモニタ96KB、標準RAM:384KB、最大ユーザーズメモリ:640KB、グラフィックVRAM容量:192KBという具合。内臓5インチFDDが2つついているってのもあった。
初めて手にしたPCってのは、とにかくうれしかった。それだけ。

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10月 162007
 

 1994年2月19日(36歳) この日がniftyとプロバイダー契約した日である。ブローバンドなど、とてもとても。まだダイアルアップ接続が主流。
当時は世界最大のNETWORK compuserveとつながるというのが売りだった。コンピューター通信などと称して、PCを通して初めて世界へつながった日である。
最初は会議室のみだったが、その後、リアルタイムチャットなどにも顔を出してみたが、ブラインドではうてずあまり入らなかった。

まあ、記念すべき日ではある。このブログもちなみにniftyのレンタルサーバー上にある。

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10月 152007
 

NHKのトップランナーを何気に見ていたらこのバンドが出ていた。
とにかくイイ。徳島出身のガールズバンドで
橋本絵莉子(vo,Gt)がメロディーメーカーだそうだが、結構切れてる。
3ピースバンドがバンドのコンセプトだそうだが、とにかくかっこいい。

思わずアマゾンへ1st「耳鳴り」と, 今度出る2ndの「生命力」を予約注文してしまった。

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10月 082007
 

POPS系の、いろんな音楽を仕入れたのはこのラジオ番組の存在が大きい。
記憶の中では小学校の末には視聴しはじめたと思っていたが、1969年(本人12歳)に高嶋秀武や土曜日の亀渕昭信が始り、1970年6月九州朝日放送、10月長崎放送、1971年3月熊本放送が放送開始となっている。1973年7月からはタレントに移行している。
家でトランジスタラジオ(もしかしたら鉱石ラジオ)を布団の中にまで持ち込んで、長崎放送にあわせて必死で聞いていたのを思い出す。何が面白かったのか?キャスター毎にキャッチフレーズがあり、「ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴーズオン糸井五郎です」とか、「今日はてっちゃん誕生日、おめでとう」とかが記憶に染み付いている。
文化放送は九州の田舎でもなぜかよく電波が届いたので少しは聞けたが、レモンちゃん(落合恵子)、土井まさる、みのもんたあたりは少しだけ覚えはある。
でも、やっぱりオールナイトニッポンだった。
ライブドアの買収騒ぎのときニッポン放送社長が亀ちゃんだと知って、えらくなったけどたいへんだなぁと感慨ひとしおで、この番組を思い出した。

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10月 072007
 

高校生(1973-1975)の時、われわれ?はこうカテゴライズされていた。無気力・無責任・無関心。wikipediaで検索してみると、しらけ世代、おたく第一世代のはしりにあたり、団塊と団塊ジュニアのまさにど真ん中に位置する。ゆえに部分的にはどちらの世代も理解はする。
自分的には、心情は旧人類で思想は新人類的、行動は中間か。
個人的に三無主義という言葉は感覚的にぴったりはまり、肯定的に捉えている。音楽領域では1970年ビートルズ解散あり、社会状況としては1972年の浅間山荘事件以来、市民運動としての学生運動は完全に終焉した。
良くも悪くも団塊世代が引っ張ってきた文化、社会がひとつの区切りを迎え、振り返るとまつりのあとみたいな虚無感を感じていた。
絶対的なものが無意味なものに思え、しかしながら枠を壊す気力も個人的にはなかった。
すべてを斜めから見ているような感じで、実は今もそれをひきずっている….。

 Posted by at 11:08 AM
10月 062007
 

今朝、仕事場へ行く途中コンビニへよったら、これが目に入った。
久々のpeaceシリーズである。京都限定で昨年10月から発売されていたらしい。
感想は一言で言えば 自分のイメージする peace ではなかったって言うこと。
喫った感じは、香りがきつい、重さはまあまあ、後口がセブンスターみたいに「もさもさ」する。

タバコの味を表現するのは難しい。
ちなみに現在の常用タバコは peace LIGHT ボックスです。

 Posted by at 11:54 AM
10月 042007
 

ヤマハポピュラーソングコンテストである。
1969年(当時12歳)から、1986(29歳)年まで続いていたようである。
記憶に残っているのは年2回開催されるようになって、アマチュアが参加するようになった1973年(16歳当時高校1年か…)のグランプリ、小坂明子「あなた」、第10回グランプリの1975年中島みゆき「時代」であろうか。
中島みゆきはデビュー曲の「アザミ嬢のララバイ」も強烈な印象が残っている。
高校卒業してからは一時jazzにのめりこんだこともあり、ほとんど関心がなかった。
時おりはやった歌がポプコンからということで、いわゆるニューミュージックの登竜門だという事程度にしか感心がなかった。
司会が大石吾郎だった事を思い出したので、ぐぐってみたら、コッキーポップという番組の記憶がよみがえった。こちらもヤマハがスポンサーで、ほとんどポプコンと連動していたようだ。
フォークからニューミュージックへという時代に、はたした役割は大きいと思う。

10月 032007
 

もうほとんど遠い記憶である。
川のそばにある叔父さんの家へ行くと、その向こう三軒ぐらいに貸し本屋があった。
1959年(本人2歳!)には少年週刊誌(サンデー、マガジン)が登場し、1967年くらいには少年誌は一般化していた記憶があり貸し本屋もほとんど消滅していた?ため、それ以前小学校低学年以前と思われる。
いつも叔父さんちへ行くとその貸し本屋から4,5冊はまとめて資本をかりて読んでいた。
忍者物、怪奇物、少女ものなどがあったと思うが、このあたりは月間週間少年少女誌もすでに登場していたのであいまいな記憶でしかない。

現在、格差社会だの何だのといっているが、小学校低学年以前は明らかに格差があり、
東京オリンピック(1964年)を境に一気に一億総中流へ向かう以前の名残であったかも知れない。

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10月 022007
 

洋楽を本格的に効き始めたのはこの番組の影響が大きい。
Wikipediaによれば1970年1月~1974年3月、小学校6年終わりから中学3年生まで続いていたことになる。
初代司会が関口宏。2代目黒柳徹子とのことだが、3代目のマイク真木以外はあまり記憶がない。
記憶的には小学校高学年だった気がしていたが、こうやってみるとピークは中学校だったようだ。
歌って踊ってという感じだったので、アクエリアスとか、ジーザズクライストスーパースターなどの曲目が
この番組で聴いたような気がしていたが、CD曲目を見るとビートルズやS&Gは
この番組がきっかけで聴きだしたのかもしれない。
田中星児や上条恒彦はこの番組でだと思っていたが、まさか太田裕美や谷山浩子などもいたとは思っていなかった。
シカゴなどもこの番組で初めて知った気もしているが、のちにミュージカルを見るきっかけになったような気がする。
オリジナル曲はほとんど覚えていない。

 Posted by at 11:52 PM