10月 042007
ヤマハポピュラーソングコンテストである。
1969年(当時12歳)から、1986(29歳)年まで続いていたようである。
記憶に残っているのは年2回開催されるようになって、アマチュアが参加するようになった1973年(16歳当時高校1年か…)のグランプリ、小坂明子「あなた」、第10回グランプリの1975年中島みゆき「時代」であろうか。
中島みゆきはデビュー曲の「アザミ嬢のララバイ」も強烈な印象が残っている。
高校卒業してからは一時jazzにのめりこんだこともあり、ほとんど関心がなかった。
時おりはやった歌がポプコンからということで、いわゆるニューミュージックの登竜門だという事程度にしか感心がなかった。
司会が大石吾郎だった事を思い出したので、ぐぐってみたら、コッキーポップという番組の記憶がよみがえった。こちらもヤマハがスポンサーで、ほとんどポプコンと連動していたようだ。
フォークからニューミュージックへという時代に、はたした役割は大きいと思う。