尿中アルブミン/クレアチニン比
30未満正常、30-300未満 微量、300以上顕性蛋白尿。
仕事上入会。
http://www.iatm.jp/
平成21年度から医会の広報委員ということで、医報の編集会議に初めて出席しました。
出席するととうちの周産期部門の教授がいらしており、医報が医会の学術と広報の合同で作成されている様でした。
事前に医会報の初版?が配布されており、ざっと目を通していたんですが
論文は学術、体裁は広報の分担かと思いきや、ほぼ合同でやってました。
印刷所は@ATUIでしたが、もうすでに初稿風であがっており、編集会議をやるなら本来は初稿前だろうなぁというのが感想です。
今回から変わったことは試験的に査読をいれ、学会誌としての体裁を強くしたということです。
たとえば、専門医試験の業績には査読のある雑誌という断りがあるものも多く、
医会報を有益なものにするというのが目的だそうです。
まあ、学術の@hibahara先生は学際の人ですからなるほどなぁと思いました。
今後は査読を入れていくそうです。
論文は原則は一月と九月の地方会に発表したものを提出するのですが、
今回うちの発表したものは一遍もなくお恥ずかしい限りです。
決定事項としては、その年に発表したものの締め切りが11月末ということが決まりました。
本年一月にあった地方会の発表論文も3月中に提出されたものが3篇あり、
きちんと指導がなされているなぁというのが感想です。
もうひとつ学会の著作権に関するアンケートがあったそうで(以下URLの団体)http://www.cric.or.jp/db/dbfront.html#02
学術一任ということになりました。
商業紙は結構著作権がはっきりしているのですが、地方会誌を含めた学会誌などははどうするか明確な規定はなく、
こういうブログなどに勝手に掲載していいものかどうかということもいまだにあいまいになっています。
まあ何かと世知辛いですが、これも時代の要請といったところでしょうか。
まあ、こういう会議も初めてのときはいろいろえるところもありますねぇ。
このシリーズのどの年をとってみても、この年(多感な中学一年生13歳でした。)どの曲にも思い入れがあり、今見てもかなり幅広い音楽性がある。
1970年は文字通りビートルズ解散の年であり、この年前後にロック史上いくつもの花が開いた。
キングクリムゾン、ツェッペリン、シカゴ、サンタナ...
今聴いている音楽はこの年がすべてのはじまりであり、今につながっている。
1. セックス・マシーン(ジェームス・ブラウン)
2. 魔法(ルー・クリスティ)
3. ブラック・マジック・ウーマン(サンタナ)
4. 帰ってほしいの(ジャクソン5)
5. 霧の中の二人(マシュマカーン)
6. つばめのように(ジリオラ・チンクェッティ)
7. ガラスの部屋(ペピーノ・ガリアルディ)
8. 涙のクラウン(スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ)
9. ローズ・ガーデン(リン・アンダーソン)
10. 京都の恋(ベンチャーズ)
11. ワン・バッド・アップル(オズモンズ)
12. イン・ザ・サマータイム(マンゴ・ジェリー)
13. 悲しき鉄道員(ショッキング・ブルー)
14. ナット・ロッカー(EL&P)
15. ノックは3回(トニー・オーランド&ドーン)
16. ミー・アンド・ボビー・マギー(ジャニス・ジョプリン)
17. ラヴ(レターメン)
18. ナオミの夢(ヘドバとダビデ)
19. 青春に乾杯(ミッシェル・デルペッシュ)
20. 黒い炎(チェイス)
婦人科ガイドラインのコンセンサスミーティングに出席した。
それぞれの分野でのそれぞれの立場による発言があり、一家言ある方が出席するので多少荒れたものになる。
一般診療のガイドラインということで標準的なものを取り入れる必要があるのだが、これがなかなか難しい。
あまり専門的に、あくまでもこれくらいはということがわかっていても、
一般診療でのレベルとしては不可能だということも存在する。
大多数が認める落としどころを見極めるのがこの会議の趣旨である。
しかしながら、そもそものクエスチョンの設定がやや不十分なものだったりすれば、集中砲火を浴びる。
ガイドライン作成者に求められるものは、まず与えられたクエスチョンの吟味がなされなければいけないんだなぁというのが正直な感想である。
シカゴII(シカゴと23の誓い) 1970年
シカゴではじめ記憶に残ったのが、表題の「長い夜」でした。
イントロの印象的リフに始まり、強烈なブラス。
洋楽の聴き始めは、家にあったポプラーソングLP全集のなかの
ドゥワップ、フォーク、カントリー、ポップスなどが初めてでした。
その前に邦楽での、和製ポップス(洋楽のカバー)などがあり、GSが合って平衡していたわけです。
1970年というのは中学一年生。実際には当時は、ラジオ全盛時代で
オールナイト日本などが洋楽を聴くきっかけだったんでしょう。
一方でNHKでもステージ101というショー番組などで、結構いろいろな洋楽が耳に入ってきました。
シカゴはとにかく初期はブラスロックという風にジャンルわけされ、
初期のアルバムはすべて2枚組みで
当時の中学生にとっては1972年のカーネギーホールライブが出てやっと買いました。
ピーター・セテラが主導権を握ってからは聞かなくなりましたが、
やはり今こうやって聞くと、長い夜もピーター・セテラでしたが、
ほかの楽曲でのテリー・キャス、ロバート・ラムなどと、ブラス隊の絶妙なバランスがいいですねぇ。
このころはロバート・ラムが主導権を握っていて、割と政治的、哲学的なコンセプトを気に入っていました。
昨年から今年にかけて40周年ということで来日や、再発が出て
あらためて聞きなおしてみると、いいバンドですねぇ。