本日はもうひとつ勢いで
Faye Wong 迷/恋のパズル – 1994年ですね。
Faye Wong を知ったのは,フジ系の深夜番組「アジアンビート」って番組ですね。当時まだビンゴボンゴってバンドにいたユースケ・サンタマリアがレポーターやってました。ポリドールからアジア系の歌手のCDが固めて出ていて, NIFTYの会議室なんかでもずいぶん盛り上がってましたね。
このアルバムはいいですねぇ。我願意が一番好きです。カラオケでも発音無視で歌えたりしますw
恋する惑星も日本橋の映画館まで見に行きましたし, 武道館にも行きましたねぇ。
ファイナルファンタジーのアイズオンミーで一気に認知度があがりましたねぇ。
このところ忙しいです。そんなとき一息つきたいときに。
スタンダードを中本マリ(vo)/鈴木勲(b)/渡辺香津美(g)の三人でのインタープレイ。日本のジャズボーカルアルバムの中でも最高の名盤だと思います。1975年発売。
聞いたのは20歳ごろ…だと思います。当時2浪目突入, 今度は福岡の大橋というところにあった予備校。隣の西鉄駅の井尻にあったブラックアンドタンというJAZZ喫茶に夜な夜な予備校を抜け出しては行ってた時に聞いたんじゃあなかったかな。
レーベルがスリーブラインドマイスで、このレーベルは名盤ばかり。山本剛トリオのミスティライブや鈴木勲のブルーシティなどもいいですよぉ。
でもやっぱりこれが最高ですね。
井上陽水「センチメンタル」1972/12/10発売です。これに関してはいくらでも語れます。個人的には陽水の中では一番好きなアルバムです。今でも時々引っ張り出しては聞きます。
初めて陽水を聞いたのはいつだったでしょうかよく覚えていません。意識したのは16歳の高校1年生の時に, わが出身校を含む高校の学園祭に行った時にあらゆる高校でフィルムコンサートをやってた記憶があります。当時の高校生には絶大な人気でした。
陽水は詩人ですね。このアルバムの一曲一一曲すべていいですねぇ。
オーケストラの音程合わせから「つめたい部屋の世界地図」の導入から「帰郷」まで、トータルアルバムとしてセンチメンタルというアルバム名がまさにぴったりです。
曲は「夜のバス」、詩は「たいくつ」あるいは「あどけない君のしぐさ」など名曲ぞろいです。
当時高校生であまりおこずかいもなく、初めて買ったアルバムは発売されたばかりの「もどり道」のほうでしたが、「氷の世界」まではすべて素晴らしいアルバムです。
いつごろから、本格的にウリムゾンを聞くようになったのかはもはや定かではない。
初めて聞いたのはエピタフだったような記憶がある。オールナイトニッポンで深夜かかってたのを聞いてすばらしいと思った。
アルバム自体はいつから購入しだしたのかわからない。「クリムゾンキングの宮殿」が1969年、12歳のときの発売だが、当初は知らなかった。「RED」が1974年、17歳かぁ。予備校時代特(19歳~20歳)には結構JAZZなども聞いていた。そもそも自分の中では、クリムゾンの「キャットフード」がきっかけでJAZZを聞き始めたと思っているので、ポセイドンあたりまでは高校時代にアルバムとしては聞いたことがあったんだと思う。なにせ、高校生ぐらいではあまりお小遣いもなく、よっぽど好きじゃなければアルバムまで買うようなことはしないが、宮殿は持っていたのかなぁ。
高校の同級生にYES 好きがいてクリムゾンのほうがいいよとかなんとか会話したことはあるので高校から聞き始めたんだろう。
とにかく、現在までファンでいつづけられる数少ないグループではある。
NHKのトップランナーを何気に見ていたらこのバンドが出ていた。
とにかくイイ。徳島出身のガールズバンドで
橋本絵莉子(vo,Gt)がメロディーメーカーだそうだが、結構切れてる。
3ピースバンドがバンドのコンセプトだそうだが、とにかくかっこいい。
思わずアマゾンへ1st「耳鳴り」と, 今度出る2ndの「生命力」を予約注文してしまった。
POPS系の、いろんな音楽を仕入れたのはこのラジオ番組の存在が大きい。
記憶の中では小学校の末には視聴しはじめたと思っていたが、1969年(本人12歳)に高嶋秀武や土曜日の亀渕昭信が始り、1970年6月九州朝日放送、10月長崎放送、1971年3月熊本放送が放送開始となっている。1973年7月からはタレントに移行している。
家でトランジスタラジオ(もしかしたら鉱石ラジオ)を布団の中にまで持ち込んで、長崎放送にあわせて必死で聞いていたのを思い出す。何が面白かったのか?キャスター毎にキャッチフレーズがあり、「ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴーズオン糸井五郎です」とか、「今日はてっちゃん誕生日、おめでとう」とかが記憶に染み付いている。
文化放送は九州の田舎でもなぜかよく電波が届いたので少しは聞けたが、レモンちゃん(落合恵子)、土井まさる、みのもんたあたりは少しだけ覚えはある。
でも、やっぱりオールナイトニッポンだった。
ライブドアの買収騒ぎのときニッポン放送社長が亀ちゃんだと知って、えらくなったけどたいへんだなぁと感慨ひとしおで、この番組を思い出した。
ヤマハポピュラーソングコンテストである。
1969年(当時12歳)から、1986(29歳)年まで続いていたようである。
記憶に残っているのは年2回開催されるようになって、アマチュアが参加するようになった1973年(16歳当時高校1年か…)のグランプリ、小坂明子「あなた」、第10回グランプリの1975年中島みゆき「時代」であろうか。
中島みゆきはデビュー曲の「アザミ嬢のララバイ」も強烈な印象が残っている。
高校卒業してからは一時jazzにのめりこんだこともあり、ほとんど関心がなかった。
時おりはやった歌がポプコンからということで、いわゆるニューミュージックの登竜門だという事程度にしか感心がなかった。
司会が大石吾郎だった事を思い出したので、ぐぐってみたら、コッキーポップという番組の記憶がよみがえった。こちらもヤマハがスポンサーで、ほとんどポプコンと連動していたようだ。
フォークからニューミュージックへという時代に、はたした役割は大きいと思う。