POPS系の、いろんな音楽を仕入れたのはこのラジオ番組の存在が大きい。
記憶の中では小学校の末には視聴しはじめたと思っていたが、1969年(本人12歳)に高嶋秀武や土曜日の亀渕昭信が始り、1970年6月九州朝日放送、10月長崎放送、1971年3月熊本放送が放送開始となっている。1973年7月からはタレントに移行している。
家でトランジスタラジオ(もしかしたら鉱石ラジオ)を布団の中にまで持ち込んで、長崎放送にあわせて必死で聞いていたのを思い出す。何が面白かったのか?キャスター毎にキャッチフレーズがあり、「ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴーズオン糸井五郎です」とか、「今日はてっちゃん誕生日、おめでとう」とかが記憶に染み付いている。
文化放送は九州の田舎でもなぜかよく電波が届いたので少しは聞けたが、レモンちゃん(落合恵子)、土井まさる、みのもんたあたりは少しだけ覚えはある。
でも、やっぱりオールナイトニッポンだった。
ライブドアの買収騒ぎのときニッポン放送社長が亀ちゃんだと知って、えらくなったけどたいへんだなぁと感慨ひとしおで、この番組を思い出した。
ヤマハポピュラーソングコンテストである。
1969年(当時12歳)から、1986(29歳)年まで続いていたようである。
記憶に残っているのは年2回開催されるようになって、アマチュアが参加するようになった1973年(16歳当時高校1年か…)のグランプリ、小坂明子「あなた」、第10回グランプリの1975年中島みゆき「時代」であろうか。
中島みゆきはデビュー曲の「アザミ嬢のララバイ」も強烈な印象が残っている。
高校卒業してからは一時jazzにのめりこんだこともあり、ほとんど関心がなかった。
時おりはやった歌がポプコンからということで、いわゆるニューミュージックの登竜門だという事程度にしか感心がなかった。
司会が大石吾郎だった事を思い出したので、ぐぐってみたら、コッキーポップという番組の記憶がよみがえった。こちらもヤマハがスポンサーで、ほとんどポプコンと連動していたようだ。
フォークからニューミュージックへという時代に、はたした役割は大きいと思う。
もうほとんど遠い記憶である。
川のそばにある叔父さんの家へ行くと、その向こう三軒ぐらいに貸し本屋があった。
1959年(本人2歳!)には少年週刊誌(サンデー、マガジン)が登場し、1967年くらいには少年誌は一般化していた記憶があり貸し本屋もほとんど消滅していた?ため、それ以前小学校低学年以前と思われる。
いつも叔父さんちへ行くとその貸し本屋から4,5冊はまとめて資本をかりて読んでいた。
忍者物、怪奇物、少女ものなどがあったと思うが、このあたりは月間週間少年少女誌もすでに登場していたのであいまいな記憶でしかない。
現在、格差社会だの何だのといっているが、小学校低学年以前は明らかに格差があり、
東京オリンピック(1964年)を境に一気に一億総中流へ向かう以前の名残であったかも知れない。
洋楽を本格的に効き始めたのはこの番組の影響が大きい。
Wikipediaによれば1970年1月~1974年3月、小学校6年終わりから中学3年生まで続いていたことになる。
初代司会が関口宏。2代目黒柳徹子とのことだが、3代目のマイク真木以外はあまり記憶がない。
記憶的には小学校高学年だった気がしていたが、こうやってみるとピークは中学校だったようだ。
歌って踊ってという感じだったので、アクエリアスとか、ジーザズクライストスーパースターなどの曲目が
この番組で聴いたような気がしていたが、CD曲目を見るとビートルズやS&Gは
この番組がきっかけで聴きだしたのかもしれない。
田中星児や上条恒彦はこの番組でだと思っていたが、まさか太田裕美や谷山浩子などもいたとは思っていなかった。
シカゴなどもこの番組で初めて知った気もしているが、のちにミュージカルを見るきっかけになったような気がする。
オリジナル曲はほとんど覚えていない。
私が本の虫になったきっかけは、1964年9月刊行開始、1968年まで小学館で刊行された少年少女向けのこの全集です。 よくよく考えれば、何と小学校一年生の時に購入開始していたわけです。第一回配本なんかいまでも鮮明に覚えています。ほぼ全巻読破した…のかな?親としては子供の教育のためでしょうけど、今に至るまで多大な影響を受けています。
10歳になる娘がいますが、こういう定期刊行の全集本は今の時代には売れないせいか見かけませんねぇ。
表紙には世界の名画が付いており、名画にも詳しくなりました。
子供向けの翻訳なので後で読み直した本もたくさんありますが、子供にはちょうど良かった気がします。
これをもとに読書の幅が広がり、この年に至るわけです。いずれぼちぼち調べて少しずつUPしてみます。
いわずと知れた陽水の曲ですね。直接映画は見ていないのですが、「放課後」という映画の主題歌に使われました。1973年の映画ですので、当時私は16歳…。多感な年齢ですねぇ。主演の栗田ひろみはくりくりした目が愛らしかった人気アイドル。ちょうど陽水を聞き始めた年齢で、最初に好きになった曲です。ギターも弾き始めの私としては簡単だし、特に詩がすばらしかった。今でもこの詩には共感がもてますし、永遠の曲です。
ipod-nanoのCMでなんとなく耳に付いた。
アマゾンで注文してしまった。
THE REMINDERというアルバムの「1234」という楽曲らしい。
最初に聞いた時はビョークの声かと思った。とりあえず曲の感想は聞いてから。
以前からblogとしてはココログ、niftyのメンバーHPを使っていました。
niftyがサービスを結構入れ替えているため、
掲示板が使えなくなり、レンタル掲示板に代わることに。
そこで一念発起して、今のwebを学習しなおし
レンタルサーバーを借りて、Expression Webでメインページを
blogはwardpressで構築?することにしたのです。
でも結構苦労している…..
本日から朝のラジオ体操につき早起きしました。
寝る時間も少し早くしないと…
UOKRパッチはいるたびに少しずつ使い勝手がよくなっています。
生産でもラスオブ、ラスタゲがきちんと働くようになったこと、
バックパックも物が大きくなり、置きやすくなってきて
従来の3Dにある程度近づいてき、操作性は向上。
ただ、まだメモリ的に難があるのか
使っていると重たくなってくるのは問題ですね。
来週は、夏休みで家族で台湾です。
昨年は韓国だったので近場で
悲情城市のロケ地で有名な九份(私にとっては)
というより千と千尋の冒頭のシーンのモデルとして有名らしい…
楽しみです。
6月28日からいつの間にかUOKRが正式導入されました。
5月31日のベータから早一ヶ月。
最初はまったく使い物にならならず、パッチが入るたびに少しずつ改善してきました。
ただパッチ当てるのも一苦労します。
やっと通常の画面でフレキシブルデスクトップ、ズームインアウト使っても
フリーズせずに使えるようにはなったので何とか使えそうです。
ただ現在使用中のPCではやや重たく感じます。
SA導入までには慣れるように、これからKRをぼちぼち使って楽しみたいと思います。