6月 222023
 

数学編
1数の世界
2量の世界
3代数の世界
4速くてやさしい算数
5やさしい計算尺入門

物理編
6物理とはⅠ 運動・音・熱
7物理とはⅡ 光・磁気・電気
8物理とはⅢ 電子・陽子・中性子
9ニュートリノ

化学編
10宇宙をつくる元素
11炭素の世界
12窒素の世界

生物編
13生物学小史
14人体の話
15人種とは
16生命の化合物

天文編
17地球と月
18太陽の王国
19宇宙の果てまで
20宇宙Ⅰ太陽系から星雲まで
21宇宙Ⅱ宇宙の進化

歴史編
22エジプト人
23ギリシャ人
24ローマ共和国
25ローマ帝国
26創世記のことば
27出エジプト記のことば
28ギリシャローマ神話のことば
29世界の地名
30フランクリンと凧
31英単語の歴史
32暗黒時代
33近東の歴史
34イギリスの歴史

中高時代20冊くらいは購入して読んだかな。
いろんな分野への興味がわいたなぁ。

Apple TV+で「ファウンデーション」のシーズン2 
2023/7/14から開始するらしい。シ-ズン1も見てないがふと思い出したので。

2月 242008
 

36000001611201 本日はもうひとつ勢いで
Faye Wong 迷/恋のパズル – 1994年ですね。
Faye Wong を知ったのは,フジ系の深夜番組「アジアンビート」って番組ですね。当時まだビンゴボンゴってバンドにいたユースケ・サンタマリアがレポーターやってました。ポリドールからアジア系の歌手のCDが固めて出ていて, NIFTYの会議室なんかでもずいぶん盛り上がってましたね。
このアルバムはいいですねぇ。我願意が一番好きです。カラオケでも発音無視で歌えたりしますw
恋する惑星も日本橋の映画館まで見に行きましたし, 武道館にも行きましたねぇ。
ファイナルファンタジーのアイズオンミーで一気に認知度があがりましたねぇ。

2月 242008
 

Marinakamoto31 このところ忙しいです。そんなとき一息つきたいときに。
スタンダードを中本マリ(vo)/鈴木勲(b)/渡辺香津美(g)の三人でのインタープレイ。日本のジャズボーカルアルバムの中でも最高の名盤だと思います。1975年発売。
聞いたのは20歳ごろ…だと思います。当時2浪目突入, 今度は福岡の大橋というところにあった予備校。隣の西鉄駅の井尻にあったブラックアンドタンというJAZZ喫茶に夜な夜な予備校を抜け出しては行ってた時に聞いたんじゃあなかったかな。
レーベルがスリーブラインドマイスで、このレーベルは名盤ばかり。山本剛トリオのミスティライブや鈴木勲のブルーシティなどもいいですよぉ。
でもやっぱりこれが最高ですね。

2月 122008
 

31cpc71t5kl_aa192_1 井上陽水「センチメンタル」1972/12/10発売です。これに関してはいくらでも語れます。個人的には陽水の中では一番好きなアルバムです。今でも時々引っ張り出しては聞きます。
初めて陽水を聞いたのはいつだったでしょうかよく覚えていません。意識したのは16歳の高校1年生の時に, わが出身校を含む高校の学園祭に行った時にあらゆる高校でフィルムコンサートをやってた記憶があります。当時の高校生には絶大な人気でした。

陽水は詩人ですね。このアルバムの一曲一一曲すべていいですねぇ。
オーケストラの音程合わせから「つめたい部屋の世界地図」の導入から「帰郷」まで、トータルアルバムとしてセンチメンタルというアルバム名がまさにぴったりです。
曲は「夜のバス」、詩は「たいくつ」あるいは「あどけない君のしぐさ」など名曲ぞろいです。

当時高校生であまりおこずかいもなく、初めて買ったアルバムは発売されたばかりの「もどり道」のほうでしたが、「氷の世界」まではすべて素晴らしいアルバムです。

2月 022008
 

Photo ホンダ・アコードのCM曲で聞いたのが1993年で、同年アルバム「海と旋律」で日本デビューです。95年マドレデウスの音楽に魅せられたドイツのヴィム・ヴェンダース監督の「リスボン物語」(見てません)でも有名ですね。このあとポルトガルに旅行もしました。日本でコンサートにも行きました。夕暮れのリスボン….いいところですね。
現在、リスボンを拠点にしている人は知らないともぐりです。

2月 012008
 

Photo 右にも紹介しときましたが、愛聴盤です。オリジナルは1972年2月2日(14歳?)。 このころはまったく、JAZZには興味はありませんでした。18歳になって、予備校通いで上京しました。友人とJAZZ喫茶へいき、そいつのお姉さんが気に入ってるというのでリクエストしたのがこれです。
そのJAZZ喫茶は メアリージェーン といいまして、今でも渋谷にあります。今でも時折おとずれ、ぼっとしてます。

10月 042007
 

ヤマハポピュラーソングコンテストである。
1969年(当時12歳)から、1986(29歳)年まで続いていたようである。
記憶に残っているのは年2回開催されるようになって、アマチュアが参加するようになった1973年(16歳当時高校1年か…)のグランプリ、小坂明子「あなた」、第10回グランプリの1975年中島みゆき「時代」であろうか。
中島みゆきはデビュー曲の「アザミ嬢のララバイ」も強烈な印象が残っている。
高校卒業してからは一時jazzにのめりこんだこともあり、ほとんど関心がなかった。
時おりはやった歌がポプコンからということで、いわゆるニューミュージックの登竜門だという事程度にしか感心がなかった。
司会が大石吾郎だった事を思い出したので、ぐぐってみたら、コッキーポップという番組の記憶がよみがえった。こちらもヤマハがスポンサーで、ほとんどポプコンと連動していたようだ。
フォークからニューミュージックへという時代に、はたした役割は大きいと思う。